青森県の三沢で大雪の降った日の話です。その日、私は、スノーハイキングの行事に参加する予定でした。しかし、ハイキングどころか、家のまわりをウロウロするだけで、身動きのとれない一日となりました。夜の間にドカ雪が降り、朝起きた時には、玄関のドアはすき間程度にしか開けられない状態になっていたのです。外に出るには、居間の窓から這い出さなければなりませんでした。そんな時、近所の人達が、みんな、シャベルを手にして、雪かきをしながら談笑している姿が目に飛び込んできました。私も、早速、加わりました。こんな経験は、初めてのことで楽しいものでした。しかし、そんな私達の努力も、数時間後に、さらに雪が60センチ積もることを防ぐのに、何の役にも立ちませんでした。結局、その日は、ジムにも、スノーハイキングにも行くことができませんでした。 (OliviaT)
Side view of house
The window on the far right is where I had to crawl out of to clear out my front door. I…
雪
Posted by: nacos (Admin) Wed, 25 Feb 2009 08:59:24 GMT
雪
Posted by: nacos (Admin) Wed, 25 Feb 2009 07:56:09 GMT
青森県にある三沢空軍基地に勤務していた時のお話です。三沢空軍基地には、2002年から2004年までの2年間いました。三沢は大変寒いところでした。私は基地から20分ぐらいのところに家を借りて、一人で住んでいました。
ある時、こんなことがありました。冬の寒い朝、私は5時に空軍基地のジムへトレーニングに行く予定がありました。そこで4時半に起きて、まだ真っ暗な外に出ました。驚きました。夜の間に雪がたくさん降っていて、あたり一面真っ白でした。雪は、私の車のまわりにも、家の前の道にも、たくさん積もっていました。
テキサス生まれの私は、雪のことをあまり知りません。雪は軽くてふわふわしているものだと思っていました。ですから、エンジンを思い切りふかし、スピードをつけて運転して行けば、除雪のすんだ大通りに出られるだろうと簡単に考えていました。しかし、それは間違いでした。私は、車をバックで出そうとしました。しかし、車はすぐに止まってしまい、まったく動かなくなりました。私は54キロの体重で車を押したり、シャベルを取り出して雪かきをするはめになりました。それは気が遠くなるような作業でした。
しかし、早朝にもかかわらず、運良く、仕事に行くためにトラックの準備をしていた近所の人が、私を見つけてくれました。私の日本語も、その人の英語も、あまりうまくありませんでした。しかし、状況は、すぐにわかってもらえました。近所の人はニコニコして、ジェスチャーで「ちょっと待って」と合図しました。そして何かを探しにトラックに戻りました。それからすぐに、大きなチェーンを持ってきました。それを私の車につなげて、彼のトラックで私の車を2、3回引っ張っり、雪の中から車を引き出してくれました。私は片言の日本語で、何度も何度もお礼を言いました。彼も笑顔でうなずきました。私が青森に2年間滞在している間、何度か近所の人に親切にしてもらいました。このお話は、その一つです。 (OliviaT)

Neighborhood view right side
Look to the left and you can see all the snow collecting at the back of my car. The hill behind the…

Neighborhood view left side
The right side of the neighborhood. Around the corner is the main street. The snow was a lot higher…

Buried car
This was the view from my front door of my car surrounded by snow.
雪
Posted by: nacos (Admin) Tue, 24 Feb 2009 14:22:21 GMT
私は仕事でいろいろなところを旅行します。2001年にはアイスランドに赴任しました。アイスランドは、イギリスとグリーンランドの中間にあります。そこは、木のまったくない火山島でした。大きさは、北海道と四国を合わせたくらいです。アイスランドの気候はたいへん快適です。しかし、冬の間は、まるで大きなごみ箱をひっくり返したような強い風が吹きました。そして、雪は固くて、氷のようにガサガサしていました。 (OliviaT)
雪
Posted by: nacos (Admin) Tue, 24 Feb 2009 14:17:23 GMT
私はテキサス州ヒューストンの出身です。空軍に勤務しています。テキサスでは雪は降らないので、20才の時まで、テレビでしか雪を見たことがありませんでした。初めて雪を見たのは、出張でコロラドに行った時でした。(OliviaT)
鯨の移動
Posted by: nacos (Admin) Tue, 24 Feb 2009 10:12:31 GMT
12月から5月までの数ヶ月間、ザトウ鯨が、アラスカからハワイにやってきます。
鯨は、ハワイで結婚し、そして、出産の為、またやって来るのです。鯨の妊娠期間は12か月です。彼等は1年目に結婚相手を見つけ、次の年、伴侶と共に出産の為、戻って来ます。鯨は、いくつもの家族が群をなして旅をします。鯨は、一旦、結ばれると、家族として一緒に過ごします。
鯨は、赤ん坊が水に浮かんで、泳ぎを学ぶ為、温かい水の中で出産しなければなりません。もし、冷たい水の中で出産すれば、赤ちゃんは死んでしまいます。鯨は、もぐろうと思えば、25分間くらい、もぐっていることができます。しかし、赤ちゃん鯨は、そんなに長くもぐれません。それで、呼吸をする為に水面に上って来る姿を、大人の鯨よりよく見かけます。 (IanM)
日系アメリカ人文化の撲滅
Posted by: nacos (Admin) Tue, 24 Feb 2009 04:14:22 GMT
第二次世界大戦中、多くの日系人が日本国民であると疑われ日系人収容キャンプに入れられました。日本から新しく移民してきた人達は特に疑われました。これは、アメリカの自国情報を日本の軍隊に知られるのを避けるための対敵情報活動として行われました。
曾祖父は日本からハワイに移民した人です。彼は日本にいた時、日露戦争で日本軍人として戦いました。それで、国家主義的な傾向があるという疑惑が非常に大きかったのでしょう。第二次世界大戦の間、米軍の代理人が定期的にやってきて、日系人の家を調べました。もし日系人がきちんとアメリカナイズされていなければ、その人達は米軍に連れて行かれ、日系人収容キャンプに入れられたのです。
祖父は曾祖父と一緒に、ハワイに移民した時に日本から持ってきた所持品を穴を掘って埋めました。それらは、日本刀を含め、数々の日本食器や日本の提灯や芸術品がありました。日本人であると米軍が判断するものは何でも埋めました。それに、祖父は、キリスト教の伝道者を呼んで仏教を放棄しなければなりませんでした。今となっては、それらの財産をどこに埋めたかわからないので取り戻すことができません。非常に残念なことです。
Destruction of Japanese American Culture during WWII (PaulC)
言葉の壁
Posted by: nacos (Admin) Mon, 23 Feb 2009 18:29:00 GMT
ある日、お店に素敵な日本人のご夫婦がお見えになりました。私は、いろいろ注文を受けた後、「お飲み物はいかがですか」と尋ねました。お客様は、うなずきながら、「いいです」と答えました。「いいです」という日本語は、肯定にも否定にも使われることは知っていました。しかし、お客様が、にっこりと、大きくうなずきながら「いいです」とお答えになったので、てっきり「お願いします」の意味かと思いました。しかし、念のため確認することにしました。少し軽口をかわした後、私は、「Kekko desu」と切り出しました。お客様は、即座に「イエス!」と答えました。そして、大笑いになりました。
お客様は、「いいです」と答えた時、大きくうなずいていたことに気づいていなかったと思います。私は、ボディーラングェッジを使って、お客様の言いたいことを理解してきました。これは、日本語がまったく分からなかった時の知恵です。
このようなことが起こったのは、これが初めてではありません。ビールを手にしてテーブルに戻って来た時、みんなが、いっせいに笑い出したこともありました。そして、注文したと思っていた人は、困った顔をして私を見ていました。私はすぐに気がつき、きまりの悪い顔をして飲み物を下げたものです。しかし、こんな小さな出来事が、仕事を本当に愉快なものにしてくれるのです。 (MarcT)
一期一会の精神
Posted by: nacos (Admin) Mon, 23 Feb 2009 14:42:42 GMT
子供の頃、毎年、夏になると、父がキャンプに連れて行ってくれました。 私は、毎年、そのキャンプが待ち遠しくてたまりませんでした。私達家族5人と、父の同僚とその家族50人ぐらいでキャンプをしました。ほとんどは知らない人達でしたが、キャンプをしているうちに、みんなと親しくなりました。場所は、エバビーチキャンプ場です。父は何かイベントがあると、いつでも心をこめて充分な準備をしました。一期一会の精神です。 (MarcT)
ルースクリスのステーキ
Posted by: nacos (Admin) Mon, 23 Feb 2009 13:00:23 GMT
「ルースクリスのステーキはたいへん大きいです」。そんなことを日本人のお客様からよく耳にします。そこで、私はできる限りの日本語を使って、お客様の感想をお尋ねしました。すると、おもしろいことがわかりました。
日本のレストランでは、8オンス(約250グラム)のステーキが一般的だそうです。私は驚きました。私達が出す一番小さなステーキが8オンスです。アメリカでは8オンスのステーキは、子供に食べさせるサイズなのです。私達のステーキが、日本の人達にとって、大き過ぎることはわかりました。
しかし、肉を厚く切るのには理由があります。それは、肉の旨味(うまみ)を引き出すためです。肉に、バターときざみパセリを添え、焼けるように熱いお皿にのせてお出しするのが、ルースクリスの特徴です。ステーキの大きさだけでなく、ルースクリスならではの演出を見て、息を飲むほどに驚くお客様の姿を見るのが、私はたまらなく好きです。 (MarcT)

私の職場
Posted by: nacos (Admin) Mon, 23 Feb 2009 12:36:08 GMT
私はワイキキにある「ルースクリス」というステーキハウスで働いています。私はこの仕事を大変気に入っています。この仕事は私にとって、いくつかの特典があります。
まず第一に、毎日、わくわくするような新しい人との出会いがあるということです。また、日本人のお客様の日本語を聞いたり、日本語を話す機会を持つことができます。日本人のお客様は、言葉がわからない人に対して非常に礼儀正しく、寛大な心を持っていらっしゃいます。
さらにもう一つ、素晴らしいことがあります。ルースクリスは世界中にあるということです。ですから、いろいろな国へ転勤することも可能です。私にとって、東京のルースクリスに転勤できれば理想的ですし、それは私にとって信じられないほどの冒険です。そんな素晴らしい「ルースクリス」で働く私の願いは、すべてのお客様に、今夜は最高に幸せだった、と思っていただくことです。 (MarcT)


