Violin弾きのお美っちゃん~5

Posted by: MichikoNakamura Sun, 21 Apr 2002 08:26:17 GMT

その際は、綺麗なビーチで……

とても大きなハリケーンがハワイを襲った時のことである。



 ハリケーン・イニキ。被害は相当なものだった。その前日、オアフ島には緊張感が漂っていた。午後のラジオやテレビのニュースでは、ハリケーンイニキの進路の向きはオアフ島だと報道していた。

 午後のスーパーマーケットは、食料や水を買い込む人々でごったがえした。皆、車のガソリンも満たんにして家路についた。島だから何か非常事態が起こると、外部と寸断されて物資が不足する。そうなると、食料や、トイレットペーパーや、飲料水や、ガソリンなどがしばらく手に入らなくなるのではないかと島民は危機を感じた。

 地域によっては、犬や猫などの愛しいペットを家に置いて、公共施設に非難を命じられた。その夜、雨はいよいよ激しくなり、ラジオは夜を徹してハリケーンの進路を報じた。海の水位はますます上がる。ワイキキとその山側を隔てるアラワイ運河も溢れそうだった。

 その夜は、私の住んでいるホノルル長屋にも激しくすき間風が吹き抜けた。幸いにも長屋はびくともせず、そのうちに眠りについた。次の朝、イニキは、突如向きを変えて、美しいカウアイ島を直撃したことを知った。

 京都で何度か「台風がやってくる前ぶれ」に遭遇した。雨が降り、湿気を含んだ空気も重たい。学生時代に「台風がくる。あしたは休講や」と誰かが言うが、いつも台風は京都までやって来ず、次の日はからりと気持ちよく晴れていた。「やっぱりなあ」と私は思ったが、京都の友だちは「台風、来いひんかったなあ」と残念そうな声を出した。

 毎年そうだった。京都には台風は来なかった。「台風も地震も来ないんだったら、京都の人は甘やかされてあかんなあ」と私は内心思った。私は高知出身なので、毎年毎年、台風が通過するので、そのたびに県民は被害を被っていたからだ。

 西暦2000年になる前、Y2K、コンピューターの誤作動による危機感を、私の友人は異常に敏感に受け止めていた。12月31日がやってくる数カ月前から準備をはじめているようだった。友人は、会うたび毎に準備をしてるかと私に聞いた。私は何もしていなかったので、そのたびにごまかしていた。

 その友人は、まだ30歳前の美しい独身女性で、両親はすでになく、ひとりで全ての心配をしなければならないのだった。コロラドに持ち家はあるのだが、数年前からホノルルに住んでいる。歌い手なので、教会や結婚式で歌ったり、コーラスやオペラで歌ったりしている。

 その準備とはどうゆうものか、友人は私にこと細かく説明した。私もだいたい飲み込めた。台風の時と同じだ。分かっている。だが、大切なポイントを友人は熟慮していなかった。用足しである。電気が寸断される。水も、食料もトイレットペーパーも十分にある。しかしだ。水洗トイレはストップされることだろう。

 友人は、澄んだ青い目をほんの少しくもらせ、長い金髪を横に振りながら「どうしよう」と思案顔を見せた。だが、すぐに顔を上げて、誇らしげに、笑いながらこう言ったのだった。

 「ビーチが近くだから、その時はビーチで……。コロラドの山をハイキングした時に、横倒しになっている大きな丸太の縁で用を足していたから、簡単なことよ」

(毎日新聞USA連載)


 

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Violin弾きのお美っちゃん~4

Posted by: MichikoNakamura Tue, 09 Apr 2002 08:23:44 GMT

ホノルル・長屋暮らし……

 私はホノルル市中心部で、交通量の多い通りに面した長屋に住んでいる。この長屋は築40年以上になるらしいが、うまく造られている。安普請には違いないが、地元の人の暮らしにそくしているとでもいえようか。



 10数年間のホノルル暮らしで何度か引っ越したが、ずっと高いビルディングだった。そうしたビルと比較しても、今、私の住む長屋は、建物の向きが微妙にうまく計算されて建てられているようだ。ぎりぎりのあやういところで、太陽の光が部屋の中を直撃しないようになっている。たいしたもんだと思う。

 また、すき間風はほどよく部屋の温度と湿度を保っていて、私のヴァイオリンは湿気を含んだり乾燥しすぎることがない。

 ある時、この長屋の住人が少しばかりカッコイイ車を手に入れた。亡くなった義父の遺品だといった。修理をし、そして入念に磨いた。その義父という人は映画俳優だった。ハワイを舞台にした空手アクション映画では、主役と対決する悪役俳優として有名だった。彼の映画は私も見たことがある。

 そんな人物だったので、少しばかり派手な車に乗っていても不思議はなかった。ある日、その車にセールの紙が貼られた。しかし、買い手が現われなかったので、そのうちにセールのはり紙は車の窓からとりはずされた。今ではその車は、長屋のごみ置き場横の駐車場で雨ざらしになり、塗装がはげ落ちている。海が近いからさびの進み具合も速い。

 この住人の次の興味はオートバイに移った。日曜日には車体を磨き、部品の手入れに余念がなかった。オートバイの調子を試すために何度も何度もエンジンをふかした。長屋の住人は、その排気ガスも共有させられ、時に息苦しかった。最近はそのオートバイも見かけない。

 日曜日の午後。長屋がやけに静かになり、今度は私の弾くヴァイオリンの音が長屋中に鳴り響く。気がひける。しかし一度も苦情の声を聞いたことがない。本当は、長屋には三味線の方が似合うのかもしれないが、ここハワイの長屋には、ヴァイオリン弾きが住んでいる。

 「あら、しばらく見かけなかったね。どこかに行ってたの?」 「いや、しばらくぶりじゃないよ。毎晩、ごみ置き場にゴミをもって行ってるだろ う。知ってるよ!」

 私は気づかなくても、住人らはちゃんと知っている。ストーカーではない。愛すべき長屋ゆえの、自然な成り行きの会話である。

 この長屋では、何事か暴力的な気配があると、誰かがすぐに警察へ通報する、といった伝統がある。どこかの部屋から夫婦喧嘩か何かで大きな声が聞こえてくると、まもなくしてからサイレンを鳴らしたおまわりさんがやってくるのだ。

 騒ぎはすぐさまおさまり、長屋は平和を取り戻す。そして長屋の気楽な住人は、ダイヤモンドヘッド沖でつってきたと言っては、大きな魚を見せびらかしに出てくるのである。  

 だが、その魚をもらったことは一度もない。

(毎日新聞USA連載)


 

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Violin弾きのお美っちゃん~3

Posted by: MichikoNakamura Wed, 27 Mar 2002 02:38:43 GMT

すぐに洗えばいいのだ!

 手にジンマシンが出たのでお医者さんに行った。診察の時に、体重が増えているのがわかり私はダイエットをすると医師に言った。「やりますか」と性格のよい医師は顔を引き締めて言った。「ハイッ」。私は力強く答えた。

 「……何が一番いけないかというとアイスクリームです。とくに、……のアイスクリームが一番いけません!」。私がそのアイスクリームをお店で買っているのを、まるで見ていたかのような切りだし方だった。もちろんその医師に目撃されたことなど一度もない。そして医師は私に食事療法を指導した。

 1カ月後に成果は現われた。豆腐ダイエットだった。豆腐一丁、味付けしないで毎日食べた。「これ、味ないなあ」と醤油をかけてはいけない。

 トマトケチャップをバッとかけて食べているテレビコマーシャルを以前見たことがあるが、お醤油をごはんやおかずに手当りしだいにかけて食べるコマーシャルも、ハワイでやっている。ハワイで実際にそうしている人を見たことがあるので、そのコマーシャルは、そんなに誇張しているとも思われなかった。

 聞くところによるとハワイ島(ビッグアイランド)にパハラというとても小さな町があるそうだ。私は行ったことがないが、何もない場所だと、パハラ出身の友人は言った。その友人が最近、ホノルルにアパートを買ったので、私はお弁当を手に部屋見物に行った。ダイヤモンドヘッドも見える。いい部屋だ。

 昼食をとりながらアレルギーの話になった。友人は私の愛犬ドルチェのあごをなでながら言った。「いろいろな植物の花粉が飛んでるから鼻水が出る。アレルギーの中でもパハラのマカデミアナッツの花粉が一番いけないんだ」

 コナとヒロの中間くらいにある、その「何もない」パハラにはマカデミアナッツの農園がたくさんあるそうだ。アレルギーが出るので10才の頃にアレルギー検査をしたら、マカデミアナッツの花粉が一番悪いということがわかったと、友人は言った。

 その次の日、この友人と同じパハラ出身の人がホノルルの私のオフィスに来た。その人は5才の時にパハラから飛行機に乗って、ここオアフ島ホノルルのアレルギー専門医に診てもらいに来たと言った。結果、マカデミアナッツが犯人だと判明した。

 その日、パハラ出身の2人は私のオフィスで再会と相なった。20数年ぶりだったという。パハラみたいな小さな町から来た人に、ここで会うなんて珍しいことだと2人は興奮して話した。私自身も内心驚いていた。今年のクリスマスにはパハラのマカデミアナッツ農園を見に行くと私は宣言した。彼らは愉快そうに笑った。

 …………まだ京都に住んでいたころのこと。ハワイに観光旅行した時にマカデミアナッツを買って帰った。おみやげ用にと少し多めに買った。ところが食べてみるとこれがやめられなかった。私はコソコソひとりで1缶、いや2缶は食べた。そして私の顔には赤いブツブツが出た。顔中に広がった。

 私はかかりつけのお医者さんに走った。薬ももらった。しかし、いっこうに治らなかった。医師は首をかしげて「皮膚科医の友人を紹介するしな……」と言った。

 「ハワイで買ってきたマカデミアナッツをいっぱい食べたんです。たぶんそれだと思います」と私は皮膚科医に訴えた。しかし、京都の皮膚科医はマカデミアナッツのことがすぐに理解できないようだった。私は同じことを3回繰り返し言った。医師はやっと理解した。そして、自信なげに薬を処方した。完治するのに3カ月かかった。その医師は肩をなでおろした…………。

 さて、パハラ出身の2人は納得した顔をして私のこの話を聞いていた。次に、話は私の好きな食べ物でアレルギーの出るマンゴーに移った。(写真はマンゴーの木)



 「マンゴーは好きだけど食べると口のふちが切れてしまう」と告げた。すると、彼らはこともなげに言った。  

 「マンゴーは食べたあとですぐに口を洗わなくちゃいけないよ

(毎日新聞USA連載)


 

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Violin弾きのお美っちゃん~2

Posted by: MichikoNakamura Mon, 18 Mar 2002 02:00:39 GMT

ポッドキャスト

花にも心がある?

 京都の鴨川の近くで住んでいた家の前は桜並木だった。満開になると花吹雪となった。夫が止めた車に積もった花びらは、朝、春の空に渦をまいて舞い上がった。そして、桜が終わる頃は緑の葉がにおい、並木の足元のつつじが咲きほこった。

 裏庭の隅には、朽ちていると思われるような芙蓉(ふよう)の古株があった。しかしその株は、毎年淡く柔らかいピンクの花を咲かせた。花びらは触れることがはばかられるような命の儚(はかな)さをたたえていた。

 今、ハワイでハイビスカスを見る時、あの裏庭の芙蓉を思い出す。ハイビスカスは陽が昇ればいつでも咲くといわんばかりの命の勢いを見せているのに……。

 コンサートのためにホノルルから飛行機で40分のハワイ島(ビッグアイランド)のコナに行った時のことだ。リハーサルと軽い食事をすませた私は、カメラを手にしてひとりで会場の周辺を歩いた。

 演奏会場のある静かな山の上から見下ろす海にゆっくりと沈んでいた大きな太陽は、最後の勢いをつけて消えた。海は黒い空と一体になった。そして演奏会に来るお客さんたちが次第にあたりを華やかにしていった。

 その時、突然、黄色い一輪のハイビスカスに出会った。カッと花弁を開き、可憐と情熱を秘めたように、夕暮れの中にポツンと咲き、向こうから私の心に飛び込んで来たように感じた。そして、カメラのレンズからのぞいた、その黄色いハイビスカスは、私に向かって何かを語りかけているようだった。



 別の時、やはりコンサートでコナに行った。その年、ハワイ島のバナナは、ビールスでやられていた。バナナにはびこったビールスを撲滅するために、全てのバナナの木は薙ぎ倒されていた。切り刻まれて倒されたバナナの幹や葉は茶色くカサカサと崩れていた。

 その残骸の間から、何かいたずらっ子のような頭があちこちからのぞいている。近づいてよく見ると、それはパイナップルだった。「なんちゅうあつかましい奴や」「パイナップルの奴、ようやるわ」と思いながら、私はシャッターを押した。





 その道すがら、かわいらしいパパイヤの木に会った。繁みの中の低い木に、形のいい緑のパパイヤがひとつだけぶら下がっていた。その姿を見つめていたら、「私もいつか、ひとりで死んでいくのだ」と、ふと思った。そして私は、なんとなくそのパパイヤの木を写してコンサート会場に向かった。

 その日のコンサート。コーラスとチェンバーオーケストラの音が、聴衆の心とひとつになり、熱い祈りの炎となって響いた、と、私はそんな気持ちに包まれていた。

(毎日新聞USA連載)


 

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Violin弾きのお美っちゃん~1

Posted by: MichikoNakamura Sat, 09 Mar 2002 01:10:20 GMT

ハワイぼけ?





 十数年前にハワイに来た当初、やはり同じ時期に日本から来ていたある女性と知り合った。東京生まれ、東京育ちで、ハワイには夫の勤務に伴って来ていた。「博物館や美術館、コンサート会場がすぐそばにある東京に早く帰りたい」と彼女は繰り返していた。そばにそういう施設があると、「文化」を感じるらしいのだ。

 学生生活と結婚生活を通して、私は京都に長く住んだ。文化と伝統と歴史の町というにふさわしい。博物館の内部はもちろんのこと、その周辺をひとりで散策するのにも、ロマンと文化の風に当たることができると思った。

 しかし、美術館のそばに住んでいるからといって、そこの人たちがいつも心の中で美を追求しているわけではない。洪水のようにあふれている音楽会のどれに行きたいかが判断できないでいて、「コンサートホールが近くにあるから文化を感じる」ということでもない。

 「ハワイぼけする」ということばをよく耳にする。ところが、「夏休みぼけ」「お正月ぼけ」などとは言っても日本のある地方の地名で、例えば、「青森ぼけ」とか「鹿児島ぼけ」とは言わないし、私は聞いたことがない。

 「ハワイぼけ」とは、身も心も定まらない浮かれた気分が、なんとなく継続している状態なのかもしれない。だが、ポワッとした空気の常夏の島にいるから、ハワイぼけするのではないと私は思っている。

 日常の循環が淀まずに、その人が心の中で目指すものをもっていることが大切なのだ。心に伝わる周波は、大きな声でも小さな声でもない。速いものでも遅いものでもない。それぞれの「心の内の音」と共鳴したものをつかんだ瞬(とき)に、その地の時空間が、自分自身のものになってゆく。

 眩しく、目のくらむようなハワイの大きな太陽の光の輪。真っ青な空と海。吹き抜ける風。それらがただ頭の上を通り過ぎて日々が循環するだけでなく、小さな音の抑揚を聞き、力強い映像を個々の心に焼き付けることが出来るのであれば、そこには、「ハワイぼけ」などという世界はやってこないだろう。

 強烈な太陽と、空と海と、その風を受けながら、一見穏やかで何もなさそうに見えるハワイの表層の内側で、大きな「炎」をいだきながら生きている人々を知らずに、ハワイを訪れては去っていく人がなんと大勢いることだろう。

 心の中に聞こえ続ける音楽、人々と交したことば、共に過ごした時間……そのひとつひとつが心の奥深いところで形になる。目に眩しいだけではない、そんな「ハワイ」との出会い。心の中から発するものとの絶え間ない「創作」の日々がある。

 喧噪の都会のコンサートホールや美術館の壁からは決して生まれない、私自身の内なる炎を持ち続けたいと思っている。

(毎日新聞USA連載)


 

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