22才の頃、私はロサンゼルスにあるコンピューターソフトの会社で働いていました。そこでは、毎日、12時間ぐらいコンピューターの前に座って仕事をしました。仕事は大変忙しく、それにストレスの多いものでした。
ロサンゼルスでの生活は、仕事のきつさに加えて、食生活も不健康なものでした。私は、オフィスの近くにある、メニューがハンバーガーとタコスだけの店を、毎日のように利用しました。おかげで私はだんだん太ってきました。そして、次第に健康状態も悪くなっていきました。
そんな時、菜食主義者の友人に出会いました。彼らは非常に健康的で、生き生きしていました。そんな彼らの姿を見て、「私も菜食主義者になろう」と決意したのです。これが菜食主義者になったきっかけです。 (PaulC)
私が菜食主義者になったきっかけ
Posted by: nacos (Admin) Thu, 26 Feb 2009 17:04:10 GMT
芸術への想い
Posted by: nacos (Admin) Thu, 26 Feb 2009 16:29:25 GMT
私は小さい頃から芸術に強い興味を持っています。それは、他からの影響ではなく、私自身の影響だと考えています。小さい頃、私は絵を描いたり、物語を書いたり、ピアノを習ったりしました。その中でピアノはやめてしまいました。私のピアノの先生は日本から来た日本人でしたが、自由な発想を否定する彼の教条的な指導法は、私にとって苦痛だったからです。
私にとって、自由が何よりも大切です。一方、人からの厳しい辛口の助言は、私にとって大変重要だと考えています。そういう人がいなければ、私は自由きままに、風船のように、どこかへ飛んで行ってしまいます。そんな気がします。私はこれからもずっと、芸術への情熱を持ち続けていくつもりです。 (PaulC)
ヴァイオリンのこと
Posted by: nacos (Admin) Thu, 26 Feb 2009 15:44:06 GMT
小学生の時、私はピアノとヴァイオリンを習っていました。ヴァイオリンレッスンはグループレッスンでした。レッスン中、ヴァイオリンの先生は、時々いらいらして、「あなたたちは駄目です」と、みんなを叱りました。そんな時、私は、「いいえ、みんなじゃない。僕は違う。僕は練習をしてきた。ダメじゃない」と思っていました。しかし、言えませんでした。怖かったので言えませんでした。結局、ピアノと同様、ヴァイオリンもやめてしまいました。もし、ほめ上手の先生に習っていたら続けていたかもしれませんね。 (PaulC)
祖父の蘭
Posted by: nacos (Admin) Thu, 26 Feb 2009 14:10:42 GMT
蘭の話です。私が子供の頃、祖父はまだ元気に動き回っていました。祖父の趣味は園芸で、植物を上手に育てる才能がありました。特に蘭の花が好きで、祖父の家には蘭の庭がありました。毎日、祖父はかかさず蘭の世話をして、見事な蘭を咲かせていました。
しかし、うまく育たなかった球根は、ごみ箱に捨てられていました。ある日、私は、偶然、ごみ箱に捨ててあった球根を見つけて拾い出しました。「これは生き返る」と直感したからです。祖父はそれを見て、「その球根はもう死んでる」と言いました。しかし、なぜか私は、その球根に愛情を感じました。そして、家に持ち帰って庭に植えました。その後、そのことは、すっかり忘れていました。
20才になったある日、母が、「あなたは小さい時、庭に蘭を植えたのよ」と言いました。私はそれを聞いて、突然、その時の記憶がよみがえりました。私は庭に出ました。蘭の花が大きくふくらんでいるのを見つけました。蘭の花は、庭の片隅で咲き乱れていました。さらに、カブ分かれをして、数か所で咲いていました。一度捨てられた球根は、命を吹き返していたのです。私の家の庭で、祖父の蘭は今も育ち続けています。 (PaulC)
My Grandfather’s Orchids (Ran)
日系アメリカ人文化の撲滅
Posted by: nacos (Admin) Tue, 24 Feb 2009 04:14:22 GMT
第二次世界大戦中、多くの日系人が日本国民であると疑われ日系人収容キャンプに入れられました。日本から新しく移民してきた人達は特に疑われました。これは、アメリカの自国情報を日本の軍隊に知られるのを避けるための対敵情報活動として行われました。
曾祖父は日本からハワイに移民した人です。彼は日本にいた時、日露戦争で日本軍人として戦いました。それで、国家主義的な傾向があるという疑惑が非常に大きかったのでしょう。第二次世界大戦の間、米軍の代理人が定期的にやってきて、日系人の家を調べました。もし日系人がきちんとアメリカナイズされていなければ、その人達は米軍に連れて行かれ、日系人収容キャンプに入れられたのです。
祖父は曾祖父と一緒に、ハワイに移民した時に日本から持ってきた所持品を穴を掘って埋めました。それらは、日本刀を含め、数々の日本食器や日本の提灯や芸術品がありました。日本人であると米軍が判断するものは何でも埋めました。それに、祖父は、キリスト教の伝道者を呼んで仏教を放棄しなければなりませんでした。今となっては、それらの財産をどこに埋めたかわからないので取り戻すことができません。非常に残念なことです。
Destruction of Japanese American Culture during WWII (PaulC)


