Violin弾きのお美っちゃん~35

Posted by: MichikoNakamura Mon, 30 Jun 2003 23:06:25 GMT

声はすれども……


 私は機械に弱いと思い込んでいた。使う以前から心理的な拒絶があるものだから、機械の方も素直に動いてくれない。これまでに、車、ファクス、コピー機、コンピューター…と格闘してきた。

 電話では見えない格闘もあった。電話の具合が悪くて電話会社に電話をした時のこと。「原因がわからないけれど故障しています」と言うと、「わかりました。少々お待ち下さい。係りの者に繋げます」と、落ちついた声が聞こえた。

 始めは安心した。が、「係りの者に繋げます」という台詞は部署から部署へ回され、延々と繰り返されたのだった。一見プロフェッショナルに聞こえた声は、だんだん空しく伝わってきた。その言葉は行き着く先がないように思えて、不安になった。

 誰もが責任を取ることのない円をぐるぐる回っているようだった。私の首筋には汗が流れた。そんなことがあってからは、「故障係り」に難なく直接たどり着けるようになった。

 ファクスやコンピューターも修理に出した。修理屋さんは、「このお客は機械のことがわかっていないから騙してやろう」などと思っていないことは感じられた。

 「何とかして直そう」と修理屋さんは頑張る。だが悲しいことに修理屋さんの技術が足りない。技術がないというのはアメリカの技術の問題ではない。

 責任をもってきちんと仕事の出来る人に交じって、責任を取ることのない円をぐるぐるしている、「修理の出来ない修理屋さん」が存在するということだった。

 「頑張ったけど直せないんだ」という台詞を聞いて、私は何度も「あっ」と驚いた。「とにかく直してもらわなくては困る」と、機械に弱い私は頑張る。結果は、直ることもあったし、無理だったこともある。

 ハワイにはハワイのペースとサイクルがある。能力の足りなさを単純にマイナスとして捉えられない不思議さもある。世界の人々に愛される「ハワイの雰囲気」を作っているのは、「やり手」や「出来る人」ばかりではない。

 「雰囲気」とは、合理的な計算では計れない、特殊な価値を持っているものだから。

 日本でもそうであるように、アメリカでも宣伝の電話はよくかかってくる。それは顧客に電話をするのではなく、長距離電話会社の売り込みだったり、コピー機のセールスだったりする。

 まだ英語での応答に慣れていなかった頃は、その電話が重要なものかそうでないのかすぐに判断出来ず、しばらく相手のしゃべるままに聞いていた。そして、頃合をみて「興味ありません」と、電話を切った。

 今では、宣伝の電話だとわかると「要りません」と、すぐに断わる。それでもしつこいと、嘘ではなく「ごめんなさい、今ミーティング中なの」と言う。すると「あっ、そう」と、あっさり電話を切ってくれる。引き際がいい。

 たまに、寄付を求める電話がかかる。警察署からも。

 「もしもし、警察ですが…」

 「ナニ? 警察? 何ですかっ?」

 「いやいや、あなたが何かの事件に巻き込まれたのではありません。ご心配なく、ミセス・ナカムラ…」と、電話の声は丁寧。

 「空港でテロリストを嗅ぎ分ける犬を購入するのに寄付をしてくれませんか?」

 「ごめんなさい、予算がないの。でも私の犬もお役に立てればお手伝いしますよ」

 「何の種類?」

 「シーズー犬よ。とても利口でかわいいんです」

 「それは役に立たないですねえ。特殊なトレーニングを受けた特別の犬が必要なんです。これは皆さんをテロの危険から守るためのものです。ミセス・ナカムラ、是非ご寄付を!」

 私はまたしても嘘ではなく、「ごめんなさい。予定外の経費はないのよ。でも、他の方法でお役に立てるのでしたら喜んでします。私共のウェブサイトも見て下さいね」と、ついでにこちらの宣伝もした。

 すると電話の向こう側から、その姿が見えそうなくらい残念そうな声が聞こえてきた。

 「オー、ミセス・ナカムラ……あなたを守るためなんです。75ドルだけでもいいんです」と、慈善は偽善に響いた。顔が見えなくてよかった。

 機械は、ほどほどに便利で、誰もがコントロールできる程度に簡単な方が、ちょうどよい。

(毎日新聞USA連載)


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Violin弾きのお美っちゃん~34

Posted by: MichikoNakamura Mon, 16 Jun 2003 22:47:18 GMT

人生の彩りは……

 ピンクは私の大好きな色。淡く明るい彩りは、気持ちを楽しく元気にしてくれる。

 日曜日に、友人のシェリルと昼食をするためにワイキキのホテルへ行った。私たちは偶然にも、「私の色」のワンピースを着ていた。



 「シェリル、きれいなブルーね。よく似合ってるわよ」

 「ありがとう。これ、私のお気に入りなのよ。目と同じ色でしょう?ブルーは私の色なの」と言った。

 シェリルはヴァイオリン指導と演奏の、音楽一筋の人生を歩んでいる。だが半年前、結婚生活に幕を引いた。離婚が成立するまで6年もかかったという。彼女の晴れ晴れとした表情に淡いブルーはよく映っていた。

 13歳の娘さんはまた背が伸びた。彼女は、そんな成長を父親とも共有するために、毎週水曜日にはお父さんに会いに行っている。

 日本人の離婚も増えているが、アメリカ人にとって離婚は全く珍しいことではない。離婚後、元夫婦は親友としておつきあいを続けるというのも少なくない。確かに誰かが傷ついてはいるが、そこからまた新しい道が開けるようにと考えている。

 ハワイの友人夫婦はお互いの名前を呼び合っている。子供に向かって、「あなたのお父さんに聞いてごらんなさい」とは言うが、夫婦がお互いに「お父さん」「お母さん」とは呼ばない。

 時に、「ハニー」と呼んでいるのを耳にするが、それを聞くと人ごとながらちょっとくすぐったくなる。ずっと昔に、「アメリカ人はダーリンと呼び合うのかしら」と想像したことがあるが、それは古い表現なのか1度も聞いたことがない。

 友人に「ダリーン」というフラダンスの名手がいる。はじめて名前を聞いた時には「ダーリン」を連想してちょっとくすぐったい気持ちがした。しかし彼女は、「みんな1度で名前を覚えてくれるのよ」と嬉しそうに言った。

 ダリーンは、時々、日本へフラダンスを教えに行っている。お弟子さんはこの名前がお気に入りだそうだ。5人の子供のおおらかな母であり、優美なフラダンスを踊る妻のダリーンを、夫のニックはとても誇りに思っている。

 ロリースとジェフは、今、結婚の準備をしている。ロリースはフライトアテンダントで、背が高く、優しさと大胆さを持っている。ジェフはパパイヤの品種についての調査と研究をしている。ロリースより背は低いが、逞しさと繊細さを持っている。

 2人はパールシティーの丘の上に、古い一軒家を買った。庭はまだ改造中だったが、業者を一切雇うことなく、2人だけで5カ月かけて改築した。私と夫と愛犬ドルチェは、完成前の新居に早々と招待された。

 ロリースが素敵なアイデアをひらめかせ、ジェフがロリースのインスピレーションを現実のものにしている。家には2人の「心と智恵」が詰まっていた。

 壁をぶち抜き、出窓や棚を作り、床を張り替えていた。棚にはジェフがハワイの木で作った木工細工が飾られている。それは、何十年もの経験を持つ職人さんが作ったように、精巧に型取られ、削られ、磨かれていた。

 「いつかハワイの木でヴァイオリンを作って!」と、私は頼んだ。

 以前、ロリースの両親、ユーエンさんの家で大晦日の花火大会があった。家の前に建てられていた大きな打ち上げ花火台はジェフが作ったものだった。ジェフは日系4世で、かつておじいさんが物作りや家作りをしているのを見て、自然に覚えたという。

 「中国人はお金持ちにならないと成功したと思わないけれど、日本人は違う。日本人の職人さんが物凄く集中して、精魂込めて小さな楊枝を削っているのをテレビで見たことがあるの。本当の人生の成功とはそういうことだと思うわ」と、ロリースが言っ た。

 ひとりの人への尊敬が、国への尊敬にも繋がっている。

 「いつか1度日本に行ってみたいね。日本の職人さんが作った工芸や建築を見てみたいね!」と、2人は顔を見合わせて深く頷き合った。

 ことばにならないものを、想像力によって長い歳月をかけて削り、失敗してはまた削り、磨く。やがて、その人の深い想いは、美しい彩りと形を帯びてくる。

 私たちの人生も、そうして織られて、「私の色」になっていくのかもしれない。失敗もまた、新しい彩りに変えられて……。

(毎日新聞USA連載)


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Violin弾きのお美っちゃん~33

Posted by: MichikoNakamura Thu, 29 May 2003 22:38:10 GMT

先のことは……


 最近、レーザーでの目の治療が盛んに行なわれている。レーザーによる、目や美容を目的とした治療の為にハワイを訪れる日本人は多い。

 メガネも昔に比べると随分と軽くなり、コンタクトレンズも安全で便利になった。私が16年前にハワイに来た当初、ハワイの人たちは大きなメガネをかけていた。よく見るとレンズ(ガラス製)も厚ぼったく、メガネの重みで鼻に当たる部分がへこんでいる人もいた。

 「どうしてそんなに分厚いレンズなの?」と友人に尋ねると、「レンズが割れて顔にけがをすると訴訟になるからなのよ」と答えた。同時代、日本ではすでに相当薄く軽い安全なレンズとフレームがあったので、不思議に感じたのを思い出す。

 その頃私は、ちん丸い顔にちん丸いメガネをかけていた。顔に負担が少なくてよかったのだが、一度だけ影響されて大きなメガネを作った。だが、常夏の国での、顔を覆うような大きなフレームは暑苦しかった。メガネの重みで私の鼻もへこんだ。

 汗をかくとメガネはずり落ちてくる。重いとさらに加速される。その加速状態が、「ここ一番」という大切な時に起こったりするものだ。

 以前、大学時代の先輩からこんな話を聞いた。彼女はオーケストラのヴァイオリン奏者だった。ある演奏会での本番中、メガネが鼻先にずり落ちてきた。それでも演奏を中断しないで細かい音符を追っていかねばならない。同時に、指揮者の鋭い目つきや指揮棒もチラチラ見なくてはならない。

 しかし非情にも、メガネは汗と音楽に乗ってずるずると鼻先まで滑り落ちていく。ヴァイオリンは弓を上げたり下げたりして弾く。そこで彼女は上げ弓の時、つまり、弓の先から元に来た瞬間に、右手のひとさし指でメガネを押し上げてヴァイオリンを弾き続けた。恐らく何十回と繰り返したことだろう。人ごとではない切実な話だった。

 私は高校時代から近眼になりメガネをかけ始めた。大学時代からはコンタクトレンズもするようになった。それから何年か経って、目が乾燥してごろごろするようになったので眼科に行った。すると、「今すぐコンタクトレンズを捨てなさい。目の皮がむけますよ」と恐ろしいことを言われ、その場で捨てた。

 それからずっとメガネをかけ続けてきた。もうコンタクトレンズをすることはないだろう」と思っていたが、2年前にメガネのつるが当たる耳の部分にひどい炎症を起こした。私は主治医のところに走り、「耳が切れたんです」と言った。

 医師は診察後、「コンタクトがいいんですけどねえ」と、ぼそっと言った。この医師は時々何かをぼそっとつぶやく。それは、はっきりとコンタクトレンズを薦めたのではなかったが、私は聞きのがさなかった。「そうだ、コンタクトレンズにしよう」と、心の中でつぶやいた。

 私が行った眼科はメガネ屋さんといっしょになっていた。店の奥には小さな検査室がいくつもあり、ひとつの検査ごとに部屋を移動させられた。スタッフが検査をしている間、女性の眼科医は暇そうにぶらぶらしているように見えた。そしてひと通りの検査を終えると、彼女は勢いよく診察室に飛び込んできた。

 それはまさに、舞台の袖からチューニングを終えたオーケストラが並ぶ舞台に踊り出て、指揮台に跳び乗ったようだった。オーケストラの楽員と観客の視線に押し潰されまいと気合を入れている。それから眼科医は冷たい機械を相手に、私という観客に向かってパフォーマンスをした。

 ついに私はコンタクトレンズを目に入れた。眼科医は「片方は遠く、もう片方は近くが見えるように処方しました」と甲高い声で説明した。それがどうゆうことなのか理解出来なかったが、この際どうでもよかった。とにかくよく見えたのだから。

 確かによく見える。なるほど両眼で見ると50センチ先の譜面台の楽譜も、遠くのダイヤモンドヘッドもよく見えた。何よりも顔が涼しい。ついにメガネの煩わしさから解放されたのだ!。それに、奇麗になったと言ってくれる人もいて嬉しかった。

 が、何もかもよく見えるはずなのに、ひとつだけ見えないものがある。手元の細かい字がよく見えない。辞書を調べたり、紙の文章を読みながらコンピューターの画面を見るのは困難だった。コンピューターを使う時間が増えるにつれてもどかしさはつのっていった。

 ついに我慢の糸は切れ、コンタクトレンズをつまみ出した。そしてまたメガネに逆戻りした。最近ではコンタクトレンズはごくたまにしかしない。

 「レーザーで治療すればよく見えるようになるのよ」と、声高に親切に言ってくれる人もいるが、まだその気にならない。いつか誰かが、「レーザーがいいんですがねえ」とぼそっとつぶやくのを聞いて、心を動かされるかもしれない。が、今は、先のことは、見えない。

(毎日新聞USA連載)


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Violin弾きのお美っちゃん~32

Posted by: MichikoNakamura Thu, 15 May 2003 22:30:15 GMT

生き物と人と……


 ハワイでは、犬、猫、ヤモリが大事にされている。漢字で「守宮」と書き、英語では「ゲコー(gecko)」という。ゲコーとはふざけた名前に聞こえるが、ニックネームではない。



 ハワイの住まいは自然と共存している。山があり庭があり、街路樹に囲まれている。ゲコーは毒を持たず、人間に悪さをせず、おとなしく小さな虫を食べてくれる。そして、住居の回りをパトロールしてくれるありがたい生き物なのだ。

 だから殺してはいけない。団地・マンション時代になる前の日本と同じだ。

 家の中に住み着いているのは、日本でも見たことのある薄茶色の痩せたヤモリと似ている。日本の都会からハワイに来た旅行者が、「家の中にトカゲがいる」と驚くことがあるが、それはゲコーとそこの家人に対して失礼というものだ。ゲコーは家を守っているのだから。

 植物が繁る場所に住むゲコーは、やや小太りで緑色をしている。緑の葉っぱかと思えば、急にのそのそと動き出す。ハワイの人はそれを見つけると、「あっ、ゲコーがいる。小さな昆虫を食べてくれるいい生き物なのよ」と、まるで自分のペットのように親しみを込めて言う。

 「ヤモリ」と言ってしまえばそれまでだが、ハワイの守宮は人々に愛される「ゲコーブランド」として活躍している。ゲコーは、シャツやパンツなどの衣類、キーフォルダーなどの小物にデザインされて登場している。

 動物相手のビジネスは様々あるが、ドッグショーの世界をハワイで身近に見てきた。見聞きしたことが全てではないにしても、「こんな世界もあったのか」という驚きがあった。それは犬にではなく、人間の世界への驚きだった。

 マークはシーズー犬のブリーダーだった。私の愛犬ドルチェは何匹かの兄弟と共にマークの手によって生まれた。彼はショードッグとして最も素質があると判断した1匹を手元に置き、残りをかわいがってくれる人に「値段がないくらいの安さ」で譲った。ドルチェも手放され、私のものになった。

 7年前の5月。生後5カ月のそのドルチェがドッグショーに出場して小型犬のグループで3位になった。賞に大きなリボンをもらい、審査員と並んで記念撮影をされた。「審査員の評価は正当なものだったよ」と、ショーを見ていた人たちは喜んでくれた。

 だが、犬の専門家を自認するドルチェの「生みの親」であるマークにとっては、かなりショックな出来事だったようで、失意のために腰が抜けたように椅子に座り込んでしまった。

 マークはそのドッグショーで「取っておきの彼の1匹」で勝利を得てデビューをさせるはずだった。彼にはその自信と確信があった。が、ブリーダーとしての将来を賭ける大切な試合に、彼は負けた。そして、「プロのブリーダーとしての眼力がなかった」という噂が広がった。今思い返せば何と残酷なこと!。

 ドルチェはショードッグとしての評価を受けた。それから数年間、趣味でドッグショーに出場して大いに楽しんだ。そこで、犬で財をなすために血眼になっているブリーダー、ハンドラー、審査員たちを見た。それはまるで博打の世界のように思えた。

 ハワイの人々は動物を愛(め)でている。だから「犬を飼っている」というより、「犬と住んでいる」という表現の方がふさわしい。植物と共存し、動物たちと共に暮らしている。

 ハワイの「ゲコー氏」は有名になり財をなしたが、可哀想なのはゴキブリだ。固く脂ぎった背中を持つ、すばしっこい日本のゴキブリとは違い、ハワイのはのんびりしている。気の毒だが見つかると簡単に捕まってしまう。

 が、ハワイのゴキブリは愛されていないが、憎まれてもいない。日本の「ごきぶり氏」は憎まれているが、ごきぶり捕獲器や殺虫剤のラベルになり、財をなした。

 ハワイで憎まれているのは「シロアリ氏」。ハワイの人々はシロアリを怖れ、戦い続けている。災害のようなものだ。

 シロアリは豊かな樹木を食い荒らし、鋭いドリルで幹や根に穴を開けてつき進み、家の中に這い上がり、床や柱や屋根までも食い潰してしまう。更には家具や木製の楽器までも破壊する。そして捕まることなく、長い羽根を広げて飛び去るのだ。実に厚かましい。

 レッドウッドというシロアリを寄せつけない木があるそうだ。別名セコイヤという赤い杉材で、これをカリフォルニアから取り寄せて家一軒建てるとなると、相当な金額になるらしい。「だからハワイはだんだんコンクリートの家が増えるのよ」と友人が言った。

 ハワイの木造家屋では、青いビニールテントを屋根からすっぽり覆ってシロアリ駆除をする。テントの中で何が起こっているのか知らないが、その間、住人はどこかに避難する。私の友人はワイキキでホテル住まいを楽しんだ。のんきな様だが仕方がない。

 今のところシロアリとハワイの人々の間には共存の道が見えていない。「ゲコー」はどことなく親しみを抱く共生者だが、英語でターマイトというシロアリが、マイペースで温厚なハワイの人々の心を掴むことはなさそうだ。

(毎日新聞USA連載)


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Violin弾きのお美っちゃん~31

Posted by: MichikoNakamura Thu, 01 May 2003 22:16:07 GMT

制服なのかしら……


 私は料理が上手でない。天ぷらは油が跳ねるのが怖くて作れない。魚はさばけない。凝ったものは作らない。それでも感覚的に偏りなく栄養をとっているような気がする。が、そんな気がするだけで根拠は何もない。

 隣家のロンは大の魚好き。2日と間を置かずに、油で魚を揚げる匂いが流れてくる。油は少しばかり古そうだ。ロンはスーパーマーケットの魚売り場で働き、休みの日には海へ釣りに出かける。

 「ああ、きょうは疲れた。8時間も働いたんだ。でも、あしたは釣りに行くんだよ。うれしいなあ」という「釣りが命」のロンなのだ。ところが、きょうはいつもより一層うれしそうな顔でロンは言った。

 「もうスーパーマーケットで働いていないんだよ。きょうで辞めたんだ。あしたから魚売り場に僕はいないよ」

 「どうして?」「膝の手術をするんだ」「病気?」「違うよ。食べすぎで太りすぎなんだ。きっとそんな歳なんだなあ」

 ロンは、太りすぎで膝の手術をしなければならなくなったことを、ちっとも気にしていない。仕事を辞めたことも苦にしていない。むしろ喜びに満ちている。そして彼は満面の笑顔で言った。

 「いやあ、うれしいなあ。本当にうれしいなあ。明日から毎日釣りに行けるんだ」という幸せなロン。

 仮に、もし仮に明日に死ぬことがわかったとしても、涙を流して、笑って、きょう自分が幸せなことをするだろうと、勝手に想像してみた。 私はハワイに来てから、日本ではお目にかかれなかったタイプの人たちに会ってきた。素朴に生きる、愉快ないい人たち。

 友人のアンドリューは、ここオアフ島で公立高校の先生をしている。ハワイ島パハラ出身で、家のまわりにはマカデミアナッツ農園がたくさんあるそうだ。パハラには両親と愛犬シャシャが住んでいる。

 「今年のクリスマスにはパハラにおいで」と毎年誘われるのだが、忙しくてなかなか実現出来ない。マカデミアナッツ農園に紛れ込んでいる私の姿が、想像の中で毎年膨れ上っていく。

 アンドリューは時々遊びに来る。私の愛犬ドルチェはアンドリューが大好きなので、ひとしきり転がって遊んでもらう。夕食時に来ると、私はカレーライスを作る。  

 「お夕食にしましょう!」 「晩御飯と夕食は、どう違うんですか?」と、アンドリューは言った。

 ハワイで、この質問は多い。「朝御飯、昼御飯、晩御飯」は聞き慣れたことばだが、「朝食、昼食、夕食」は馴染みが薄いらしい。

 その日、アンドリューと夫と私は、夕食のカレーライスを食べながら日本のテレビ番組を見ていた。テレビには同じような服装の日本人が何人も映っていた。すると突然、アンドリューがのんびりした声で言った。

 「どうして日本人はみんな同じような服を着ているんだろう?」  「ええっ? どうして?」と私は反応したが、なぜそう言ったのかおおよその見当はついていた。ひとつ流行れば同じタイプの髪形と服装をしたがる傾向の日本人。テレビに映っていたような、そのままの日本人をハワイでも見かける。

 「この前ワイキキのホテルで友達の結婚式があったんです。日本から来た人達はみんな同じ髪型で、同じ色に染めて、それに同じ服を着ていたんです。どうして? 同じ会社の人が制服を着ていたのかな?。でも結婚式で制服着るかな?」 と、アンドリューは次第にぶつぶつ独り言のようになっていった。

 そういえば、美容室のドナも同じようなことを言っていた。

 「この前久しぶりに娘と洋服を買いに行ったの。日本人観光客の母娘を何人か見かけたんだけど、お母さんも娘も同じバッグに同じ服なのよ。髪形とお化粧までそっくり同じだったの。どうして?ミチコ」

 「うーん」

 「全く同じ格好なんだけど、違うのは顔だけだったわ。娘さんは若くてお母さんはやっぱりね、少し老けてるの。何も娘と同じようにしなくてもいいのにね」。

 「うん」

 ハワイの人は目的や場所によってきちんと着替えて出かける。だが、そこにはそれぞれの人生のキャリアや自分らしさが現われている。無理がない。若者も大人への憧れはあるようだが、服装に贅沢な背伸びはしない。そして、普段は気楽なシャツとゾーリになる。

 自分にとっての幸せを、素朴に生きようとしている愉快な人たち。彼らの素直な驚きの声に、私はまた引き込まれてしまった。

(毎日新聞USA連載)


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Violin弾きのお美っちゃん~30

Posted by: MichikoNakamura Tue, 15 Apr 2003 21:46:41 GMT

青いパパイヤは……


 4月になりハワイはだんだん暑くなってきた。そして、これからもっともっとハワイらしい色調が濃くなっていく。空と海の「青」も、雲や船の「白」も鮮やかさを増す。街路樹の、黄、橙、桃色の花々は風に揺れて青空に遊んでいる。平和……だ。

 3月に、アメリカの軍関係に勤務する知り合いがイラクへ行った。「いつハワイに戻れるかわからない」と彼は緊張気味に微笑んで、その夜ハワイを発った。その時私は「戦争」という湿気を含んだような重苦しさを身近に感じた。

 そんな重苦しさを写し出すような、蒸し暑い春の嵐の一夜があった。そして、翌日はまたからりとした青空に戻っている。風が強く吹いてよく晴れた日のホノルル。目に見えないさまざまな植物の花粉が、空中を飛びかっているらしい。

 友人のセラは、「きょうはいいお天気で風があるから花粉症なのよ」と、いつもの柔らかい笑顔が少しだけ曇っている。内面から自然ににじみ出るセラの優しさには、力みのない強さが潜んでいる。それは10数年前から全く変わらない。

 小さなかわいい家の外で「こんにちはセラ。いる?」と呼ぶと、少しだけ間をおいて「ハーイ、ミチコ」と、のんびりした声でセラが出てくる。するとそこから目に見えない「心の花粉」がいっぱい飛び出してきて、ふわりと包まれたような気分になる。

 セラの心の内には目に見えない大きな住処があるように思えてならない。人を包み込む不思議な力がある。私が日本にいた時、「小さな家に住んでいたら人間が小さくなる」と言う人に会った。大きな家に住むその人の、人間が大きいかどうかは知らないが。

 セラの家の前にはマンゴーの木がある。豊かに葉をつけたマンゴーツリーには、まだ青い実がいくつもぶら下がっている。実はぶら下がっているばかりでなく、寝癖のついた髪の毛のようにピンピンと上に跳ねているようなものもある。ユーモラスなやつだ。

 玄関脇にはピンクのプルメリアの花。「プルメリアには毒があるのよ。花にさわるのはいいけれど、食べてはいけないし、もし花の汁が目に入ったらすぐにお医者さんに行かなくちゃいけないから気をつけてね」と教えてくれた。

 「花粉症はマンゴーのせいじゃないの?セラ」と、私は少し警戒心を含んだ声で言った。以前、マンゴーを食べて口の縁が切れたので、つい他の人にもマンゴーを「悪者」にしたような口ぶりになってしまう。だが、幸い、セラとマンゴーは相性がいい。

 マンゴーは、いろいろなデザートやお料理に変身するおいしい果物であって、決して悪者ではない。こくのあるその甘みはジュースやアイスクリームでも楽しめる。よく熟れた果実は魅惑的な味がする。

 ナイフで皮をむいて、オイルのようになめらかな果肉を切っていくと、中心の大きな種に近づくにつれて繊維が荒くなる。ナイフがその荒い繊維に「がさっ」と当たる感触は、「それ以上近づいてはいけないよ」と告げられたように感じる。

 マンゴーを食べてアレルギーが出てからというもの、私は何年も生のマンゴーを食べていない。もしかしてもう口は切れないのかもしれないが、今だに触れるのも躊躇してしまう。好きなのに相性が悪いとは何事においても悲しいことだが、悲しむことばかりではない。

 パパイヤとはすこぶる相性がよい。だが、パパイヤに身も心も許すまでには幾度もの失敗があった。料理上手な人にしてみればごく常識的なことかもしれないが、そうでない私はそれなりの練習期間を要した。語るには恥ずかしいことなのだが。

 スーパーマーケットの野菜売り場に山高く積まれたパパイヤは、時期によっては青くて固いものばかりだったり、黄色く熟れたものばかりだったりする。熟れたものは、ぐにゃとした部分がないかどうかを、くるくるっと撫でて調べる。これは難しくない。

 青いパパイヤを買ってくると、台所のカウンターの上に数日間放っておく。そして、毎日パパイヤを観察する。すると次第に黄色味を帯びてくる。「そろそろ明日あたりには食べられるかしら?あと2日くらいかな?」と食べ頃を待つ。私は待ち切れない。

 ついにパパイヤ全体が黄色くなったのを見て冷蔵庫に入れる。冷えたころに取り出して半分に切り、スプーンで薬のような丸い種をすくい出す。ここで私は何度がっかりしたことか。「もう1日だけカウンターの上に置いておけばよかった」と後悔した。

 まだ果肉が熟し切っていなかった。それでも一口食べてみる。渋い。せっかく何日も楽しみに待っていたのに残念でならない。もったいないのでお皿に乗せたまま冷蔵庫に戻すが、果実はもう成熟しない。そして次の日、生気を失ったパパイヤは捨てられる。

 青いパパイヤと付き合うには辛抱が必要だ。食べ頃はパパイヤが教えてくれる。パパイヤが黄色くなり、更に、深い黄味を帯びてくる。そこであと1日辛抱すると皮に汗をかいてくる。そうなればすぐに冷蔵庫に入れてよい。いつでも好きな時に食べられる。

 ちょうどよく熟したパパイヤは冷蔵庫の中で、ふたたび私の手に抱かれる時を待っている。まるで、力まない自信を秘めて眠っている幸福な生き物のように。「ふわり」と人を包み込む、そう、セラの優しさに似ている。

(毎日新聞USA連載)


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Violin弾きのお美っちゃん~29

Posted by: MichikoNakamura Sat, 29 Mar 2003 21:36:24 GMT

ユカタの恋人よ………


 ハワイのアメリカ人が日本に旅行をして、「何が面白かった?」と聞くと、多くの人が「温泉」という。それに「旅館で着た浴衣が気持ちよかった」と、その感触をいま再び味わっているかのように、うっとりした表情を見せる。

 浴衣姿の写真を見せる時には、浴衣への想いをかみしめるように、「ユ・カ・タ」と発音する。浴衣は日本情緒とハワイの開放感が味わえる。ほっとするらしい。この「ほっとする」という感覚はハワイを訪れる人々にとっても、住んでいる者にとっても大切なことだ。「ここはハワイだから」という理由において。

 私の知り合いに車のシートベルトを締めたがらない人がいる。彼は締めつけられるのが嫌いだからシャツもズボンも緩く着ている。急がせても走らない。通り雨に打たれても雨粒のついた眼鏡を拭こうともしない。だが、体は緩めていても頭は緩めない。

 ……ハワイで出会ったもうひとりの「ゆるゆるの立派な人物」を私は時折思い出す。6年程前に亡くなった弁護士のフォングさんとは、6年くらいおつきあいをした。

 フォングさんは食べることが大好きなのでとても太っていた。だからいつもゆるゆるのシャツとズボンを着ていた。歩くのも声を出すのも辛そうだった。会うと楽しそうにおしゃべりをしたが、仕事に対しては厳しく正直な人だった。

 フォングさんが病気で入院した時に、ピスタチオナッツと巻き寿司が食べたいというので、お見舞いに持って行った。彼はベッドの上で昼食を食べ終えたところだった。「ピスタチオナッツと巻き寿司よ」と差し出すと、喜んで包みを開けていくつか食べてから「残りはまたあとで食べよう」と、太い指で大切そうに包み直した。

 次にお見舞に行った時、フォングさんは病室にいなかったので廊下に出た。廊下の角を曲がってきた車椅子の人が「ミセス・ナカムラ」と手を振って私の方に近づいてきた。空気がぬけて体がしぼんだようになっていたフォングさんを見て、私は笑顔が出なかった。

 彼は笑っていた。が、片足がなかった。病室に入るとフォングさんはベッドに横たわった。そして悲しそうな表情で「残念だけど私はもう出来ないよ」と言ってから、引き継ぐ弁護士の名前を紹介してくれた。私も悲しかった。

 温かく人間味があり厳しく仕事をしている人を見極めなくてはならない。そんなことを考える時、ゆるゆるのシャツとズボンを着たフォングさんが私の心に浮かんでくる。

 ハワイに長く住んでいると、靴よりもサンダルやぞうりを履く方が気持ちよくなってくる。ほっとする。ぞうりで出勤し、職場で靴に履き替えるという人も少なくない。パーティーに行くのにドレスアップして家を出たものの、途中、車のアクセルを踏むゴムゾーリに目がいき、靴を忘れたことに気がついた、という話は珍しくない。

 ゴムゾーリはぞうり族の中でも人気が高い。地元の人は飾りよりも実質を取り、黒の安いゴムゾーリを好んでいる。その歩きぶりは妙に堂々としていて、つい憧れそうになる。私もぞうりを愛用しているが、ゴムゾーリはまだかっこよく履きこなせないので、他の種類のものを履いている。

 「ぞうり歩き」は一歩踏み出すごとに足を持ち上げる必要がないので、余計なエネルギーを消耗しない。それはゆっくりとしたテンポで歩くハワイの人々の気性に合っている。やや怠け者の印象を与えるが、ハワイでは足元だけで人を見極めるのは賢明ではない。

 ぞうりは「ずるずる」と引きずりながら歩くことが許されると思う。しかも引きずる音はさほど雑音にならない。音が出ないように歩いても、こそこそとした感じにならない。

 下駄は「からんころん」と、下駄から発する音を楽しむ要素があり、玉砂利の上を歩く音にも趣がある。そもそも下駄を履いて、そおっと音をたてないように歩くのは泥棒みたいではないか。それに足の筋肉も疲れる。

 ぞうりも下駄も、足の親指と人さし指に挟んで履くので似たようなものだが、ハワイの人にとってみれば根本的に全く違う。ゴムゾーリは履きやすく、下駄は履きにくい。だから下駄はほっとできない。

 そんな話を友人のアンドリューにしていると、彼はのんびりした顔で見事な応答をした。「でも、下駄は水溜まりの上を歩きやすかったよ」  

 そうだった。忘れていた。ゴムゾーリや下駄からも、人生の深いヒントを得ることができる。

 そして、「日本の浴衣」と「ハワイのゴムゾーリ」は、愛し合っている者同志のように、遠く離れていても心は近いと感じた。

 (毎日新聞USA連載)


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Violin弾きのお美っちゃん~28

Posted by: MichikoNakamura Fri, 14 Mar 2003 20:45:53 GMT

70歳になったら……

てくてく…てくてく…てくてく…てくてく、私は歩いていた。



 熱を出して寝たり起きたりしていたので、同じ夢を何度も見ていたのだろうか。どこを歩いているのか分からないが、私はひとり手ぶらで、てくてく歩き続けていた。

 そこは何もない緩やかな丘のようだった。ある時は長い影法師を道連れに陽の沈む方に向かって歩き、ある時は一面灰色の雲の中を歩いているようでもあった。その道はなだらかなようでも、知らず知らずのうちに次第に険しい道になっていたようだ。

 ホノルルの3月の陽光は、もう夏の予感を運んできている。それなのに夢の中で見た自分の姿がまだちらちらと現われては消える。これは他の誰にも見えない「愚かな私」の姿だから、夢の中から飛び出してくるのだろうか。

 熱でぼんやり夢を見ているようだった2月のある日、私は49歳の誕生日を迎えていた。

 私には「勝手の兄」という兄がいる。「勝手な兄」ではない。実の兄はいないし義理の兄でもない。私が勝手に兄と呼んでいるだけのことだから「勝手に兄などと呼ばないでくれ」と言われれば、その時から兄でないことになる。そこがまたいい。

 私の誕生日におめでとうと祝ってくれる?、と、勝手の兄に言った。その返答はもっともらしく聞こえた。「61歳になってから、毎年、幸せを祝おう」と。61歳まであと12年はあるのに「さすが勝手の兄だ!」と頼もしく思い、妙に感心して納得した。

 しかし、よくよく考えてみると、物心ついたころからてくてく歩いている私にとって、「61歳」が何を意味するのかわからない。61歳から高齢者で、引退をして頭と体が暇になるの?。年金がもらえるようになるの?。61歳以上は女性だと思わないの?!。

 くたびれても命の終わりまでてくてく歩き続けるだろうし、年金はもらうのか、もらえるのか考えていない。女性は女性でなくて何になるの?。それに私は「70歳くらいになったら女優になろう」とも考えている。

 自然に齢を重ねることを素直に受け入れるが、「節目」とはいかにも整然とし過ぎているし、人生に「折り返し点」はないし、「第2」「第3」の人生とはいかにも実質本位な感じがする。どれも私にはしっくり来ない。ましてや「シルバー」なんて呼ばれたくない。

 勝手の兄は幼少の頃、ヴァイオリンを習っていたそうだ。最初の先生が大変美しい先生だったので、幼いながらも練習に熱が入った。発表会では蝶ネクタイとヴァイオリンにのどを圧迫されながら「勝手の少年」は熱演した。ところがその先生が突然渡欧してしまい、2人目の先生に変わった。とたんにやる気がなくなりヴァイオリンをやめた。半世紀も前のことだ。

 「3人目の先生は私よ」と言うと「それはいいけど、雑音でない音を出すのに10年はかかりそうだ」と言う。「10年はかかる」。これは多くの人が捕われる考えなので、責められることではない。むしろ、いとおしくさえ感じる。

 私は12歳でヴァイオリンを始めて6年後に音楽学部に入学した。ベートーベンやメンデルスゾーンなどの協奏曲も弾き、オーケストラや室内合奏なども学んでいた。それにも増して、大学卒業後10年の実践は例えようもなく貴重なものだった。が、大きな悔いを今でも心の奥底から取り除くことが出来ない。

 というのは「ヴァイオリンを始めたのが遅かったから……」と自らを縛っていたのは誰でもない「愚かな私自身」だったのだから!。もしも、私の心が「遅く始めた」という事実に必要以上にこだわらなければ、学んだことの2倍はジャンプ出来たかもしれない。

 しかし、それは「かもしれない」である。素直にまっすぐ走って、高くて大きな壁にぶつかり、ジャンプして飛び越え、また走る。そんなことが果たして私にできたかどうか。やはりもう一度、夢の中で見たように、てくてくてくてくと同じように歩いていただけかもしれない。

 そして、61歳の私を想像してみる。「かつて、ヴァイオリンを習っていた、習いたかった」という人たちにヴァイオリンを教えている。もちろん、お弟子さんの中に勝手の兄もいる。女優になるのは70歳だが「10年は修行しなければ」とは考えていない。70歳になったらただ実践するだけ。

 通る道に植えられたハイビスカスの低い木々は、春夏秋冬、美しい花を開かせては結び、また咲かせる。太平洋の明るい光を抱いた3月の風が、素直な赤い花弁をぷるぷると震わせている。  

 夢ではなかった。てく、てく、てく…私は間違いなく時の中を歩いている。

(毎日新聞USA連載)


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Violin弾きのお美っちゃん~27

Posted by: MichikoNakamura Mon, 24 Feb 2003 20:22:20 GMT

ホノルルの早春に……

常夏ハワイの冬に軽やかな春風が舞ってきた。北半球が春に傾いた。



 それでも2月は、ハワイに住む人々も風邪をひく。暖かいところだから風邪をひかないということでもない。また軽い風邪の症状は、時にはしつこく長引く。

 普通の風邪では「すぐにお医者さんに行きなさい」とは誰も言わず「ビタミンCと水分をたくさん採ることよ!」と強調し、激励する。そして「もっと悪くなったらお医者さんへ行く」と言い、結局、風邪くらいではお医者さんには行かない。

 日本に住んでいた頃、私はよく風邪をひいた。お医者さんが「風邪をひきそうになったらハンカチでも何でもすぐに首に巻きや」と言ったのでそうしていたが、次第にそれでは効かなくなり、最近では首にバスタオルを巻いて寝るようになっている。

 それは風邪の予防と治療に有効なのがわかり、もう1枚首に巻いてみた。その結果、困ったことが起きた。2枚のバスタオルが睡眠中の首を不自然に固定していたせいか、むち打ち症のように首が痛くなった。やはり2枚は、やり過ぎだった。

 もう、春がそこまで来ているらしいのに、今ここで風邪をひくわけにはいかない!

 いつ頃のことだったか……風邪が長引いて咳が止まらなくなり、ハワイで初めてお医者さんに行った時のこと……「風邪くらいでお医者さんに行かない!」と何とか自力で治していたが、その時ばかりは仕方なく覚悟を決めた。

 仕方なしとはいえ「信頼出来てわがままが言える医師は?」と考えた。そう!友人に性格のよい医師がいる。友人にわがままを言いたくないが、わがままを聞いてくれる医師でなければならなかった。

 私は少しばかり緊張してクリニックに行った。はじめに看護婦さんが症状や病歴を問診し、私はまじめに答えた。それから医師が素早く診察し、薬を処方した。「これでやっと苦しみから解放される」と安堵して席を立ったところ、医師は私の顔をじっと見つめた。

 「何か、し残していることでも?」とは口には出さず、私も見つめた。5秒後、医師は何も言わずに目をそらし、私も向き直した。そして、もう一度見つめ合った。別に恋をしたわけではない。服の上からでも充分に聴こえるはずの医師の性能のよい聴診器が、私の心音を拾うことができなかったからだろう。

 「聴こえなかったんでしょう?人体解剖図の位置に、私の心臓はないのよ」とは告げなかった。

 私の心臓はねじれ、傾いている。どうしてなのかは医師もよく分からないから、私もよく分かっていない。日本の医師たちは分からないことを「分かりません」と言えず、興味とごまかしの表情をした。もっとも、医師自身がそんな顔つきをしていることすらも、本人は気がついていないようだった。

 ここハワイの病院には、日本人医師も含め海外からの研修医がたくさん来ている。

 「研修が終わったら日本に帰るの?」と、ある日本人研修医に聞くと「帰りたくない」と答えた。私はどちら贔屓でもないのだが「やっぱりなあ」と意外に思わなかった。

 彼らはアメリカの医療技術だけでなく、患者と医療者との心理的関係や医療体制を学ぶ。「日本を出て、新しい価値観を身につけてきた医療者には心穏やかになれない」というドメスティック感性の医療者は少なくないようだ。だから、そこには帰りたくない。帰り難い?のかもしれない。

 「アメリカの医療は進んでるよ」と誇らしげにハワイで働く外国人医師。「日本には帰り難いよ」と言う研修医。どちらにしろ「患者になるかもしれない者」にとってみれば、頼りがいがない感じがする。医療こそ、「診る者」と「患う者」の双方向の心のネットワークが必要なのではないのだろうか?

 「患う者」になる側の私は「病気は寄せつけないぞ!」との気概を持って生きることが大切だと信じる一方、「自力で治せなかったら診てもらいに行くからね」と友人の小林医師に前宣伝だけはして、バランスを保ってきたつもりだった。

 そして、03年、ホノルルの早春。「くしゃみが出ようと首が痛かろうが、少しばかりの症状なんてお構いなしだ!もうすぐ春だ!」と、半ばやけくそ気味に冬を突っ切ろうと頑張っていたのだが……なぜか呼吸が辛くなった。

 前宣伝の多さに迷惑していたかもしれない小林さんは、呆れ顔を見せることもなくすぐに診察してくれた。が、高熱は数日間続いた。そして、まだ微熱が残るぼんやりした頭で考えている。

 お医者さんだって分からないことがたくさんある。でも、そこに誠意が見えれば、患う者の心は開く。本当は誰もが心の通った治療を望んでいる。ささやかに感じられる、ハワイの早春のような温もりを。

(毎日新聞USA連載)



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Violin弾きのお美っちゃん~26

Posted by: MichikoNakamura Mon, 03 Feb 2003 19:39:52 GMT

友と子猫とマッサージ……


「健康にいいこと、何かしてますか」と聞かれると「いいえ、特に何も」と答える。頷いて感心されるようなことは何もしていないが、かといって健康に悪いこともしていない。



 ハワイの人は健康に気を配っている。にもかかわらず高血圧や心臓病も多いようだ。ハワイは暑いので、人々は習慣的に濃い味に慣れ親しんできたせいかもしれない。たまに外食すると、私の味覚には辛すぎると感じることがある。

 電車も地下鉄もないハワイの交通機関はバスか車だ。健康に気を配っている人でも、車を少し離れたところに駐車して目的地まで歩くのを厭う。ひとつの目的に向かって行動している時、少し時間の余裕をみて「ついでに運動」とは考えないようだ。

 しかし、彼らはスポーツジムの会員になったり、マッサージに通ったり、週のうちで時間を決めてジョギングをしたりと、スケジュール化して熱心に健康にいいことをしようと努めている。

 歌い手である友人のハイディも、健康によい食事や、美しく健康であることにとても心を配っている。彼女は、去年の夏、コロラドに住んでいた15歳年上の、最も頼りにしていた兄を事故で亡くした。

 すでに両親がいないハイディの心の奥底には孤独があった。しかし、その孤独を生きる強さに変えきたものは、歌であり、音楽を囲む友だった。そして、芸術家としてコロラドの森で自由に暮らしていた兄の生き様は、ハイディにとって勇気だった。

 ハイディはこの半年間、明るく振る舞い、外目には悲しみを感じさせなかったのだが、それは悲しみが深すぎたからだったようだ。ある日、彼女は子猫を1匹引き取りいっしょに暮らし始めた。小さな命と一緒に暮らすことは、心の癒しになるだろう。

 しばらくして、ハイディから勢いのある声で電話がかかってきた。

 「ミチコ、一緒にボディーマッサージに行かない?1時間の無料券をもらったから30分ずつマッサージしてもらいましょう!気持ちいいのよ」「ミチコはいつも忙しそうにしているから、何かちょっと違うことをしてみなくちゃだめよ。私が誘拐してあげるから少し時間を作ってね」

 ーー彼女は実にうまいタイミングで誘い出してくれる。

 慢性的に凝った私の肩は、時には岩のような固さになる。ずっと前にひどい背中の凝りにたまりかねて、知り合いからマッサージ器を借りた。床にそれを置いて仰向けに寝転がった。マッサージ器は岩板のように凝った背中をごりごりと揉みほぐしはじめた。

 マッサージ器はまるで意志があるかのように、固い凝りを砕こうと懸命に頑張った。事実、凝りは次第に小石になり、さらに砂粒に砕けていくようだった。が、やっと気分が良くなった時には、背中いっぱいに赤紫のあざが出来ていた。あざは何日も消えなかった。やり過ぎも怖いものだと思った。

 ボディーマッサージとはどんなものなのか。マッサージセラピストのサムはハイディの歌仲間で、人柄がよいことはわかっている。私は反抗せずにおとなしくハイディに誘拐された。

 ハイディのマッサージが済むと、交代して、今度は私がマッサージ台にうつぶせなった。それからサムは何か香りのよいオイルをたっぷりつけて、ゆっくりと背中をマッサージしはじめた。

 しかし、天使のように優しくふくよかな彼女の指は、深く固い凝りには届かない。「どう?」「うん、いい気持ちよ」……。

 静かな時が流れる。

 「もっと強く押して!」と私が言えば、サムは全体重をかけて頑張ってくれるだろう。が、そうすれば彼女は親指の関節を痛めるかもしれないし、私の背中に赤紫のあざができるかもしれない。 それなりに健康を保つというだけでも、何と難しいことだろうと思った。

 世の中には、健康の目安に数値や平均値ばかりに関心を示す人も多い。治療のための適正な検査は必要で、そうした数値がなけれ診療する術を知らない医師も多いようだから、あながち患者ばかりを責められないのかも。私自身でいえば、背中にオイルを塗ってマッサージをするよりは、摺粉木か麺棒で凝りをすり潰してもらう方がふさわしいのかもしれない………。

 ほんやりと浮かんでは駆け巡る私のそんな思いをよそに、香りの良いオイルを塗ったサムの手が背中を行ったり来たり、気持ちよく滑って行く。

 「固い凝りは背中のもっと奥深いところにあるのよ。ここよ!」とは、サムには告げなかった。その日の私にとって、固い凝りを取ってもらうことよりも、ハイディとサムと3人で過ごすくつろぎの時間の方が大切だった。

 くつろぎの流れの中から、悲しみを押し包んでいるハイディの心の奥底から、「よっし!」と奮い立つ、もう一つの彼女の声も聞こえてくるような気がしていた。

(毎日新聞USA連載)


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